ご挨拶
この度は、あびこ南口整体院 我孫子腰痛センターのホームページにお越しいただき、誠にありがとうございます。
院長の田中 宏樹(たなか ひろき)です。
当院は、日本最高レベルの施術を提供できるという強い自負のもと、あなたやあなたの大切なご家族、ご友人にとって、親しみやすい施術院を目指しています。
そして、手技療法を通じて人に貢献し、社会に貢献していくことが私の使命です。
今後とも、温かいお付き合いを宜しくお願いいたします。
私の想い
学生時代の貴重な経験
私がこうして日々楽しく前向きに人生を歩めるのも、両親が私を健康的に育ててくれたからだと思っています。
私がカイロプラクティックや整体の仕事をすることになったのは、学生時代に野球部に所属していたことに由来します。
当時の私は、プロ野球選手になることを本気で夢見て、毎日練習に明け暮れていました。
甲子園の名門校に入り、これからというときに悪夢のような出来事に襲われました。
朝、いつも通りに練習に行こうとして布団から起き上がると、「グキッ!」と腰に電撃が走り立てなくなりました。
両親に車でカイロプラクティック院に運んでもらい治療を受けました。
帰りは、さっきまでの痛みが嘘のようになくなり、立って歩けるようになっていました。
不意に襲った腰の故障は回復していきました。
しかし、腰の故障が原因となり、肩を痛めてボールを投げることができなくなってしまいました。
自分にとって大きな挫折でした。
それからは、自分に負けまいとチームメイトが練習や試合をしている脇で、急な坂道を毎日、滝のように汗を流して走っていました。
周りの環境はすべて変わりました。
精神面を鍛えようと空手道場にも通いました。
あのときの経験が今でも自分の糧となっています。
両親への想いから
私が、つらいとき、苦しいとき、いつも支えてくれた両親にどうにか報いたいと思う毎日。
そんなある日、台所で母が腰を痛そうに料理を作っているのを見て、高校時代に腰の痛みが劇的に良くなった感動を思い出しました。
そのとき、「痛みで苦しんでいる人を救う道を選ぼう!」と決めました。
カイロプラクティックの技術を学ぶ
大学を卒業後、カイロプラクティック学院の門を叩き、この業界に進みました。
入学すると「人体の不思議」に魅せられ授業に熱中しました。
そして、学校を卒業するときには、カイロプラクティック学院のグループの中で成績優秀賞の賞状をいただき卒業しました。
カイロプラクティック学院を卒業後は、全米一のカロプラクティック哲学者であるジョセフ・ストラウスDCや、カイロプラクティックの名門シャーマンカレッジ副学長フイフン・ブラウンDCから、本場のカイロプラクティックを学びました。
我孫子でカイロプラクティック・整体院をはじめたきっかけ
私が我孫子でカイロプラクティック・整体院を開業したきっかけは、私のおばあちゃんです。
私は昔からおばあちゃん子で、おばあちゃんがよく、
「一緒に旅行に行きたいけど腰が痛くて一緒に行けない」
「歩けなくなるのが恐い」
と私に話していました。
当時の私はまだ子供でしたので、知識も技術も何もなくて、おばあちゃんの痛いところをさすってあげることしかできませんでした。
その時の「治してあげたいな」と思う感情を今でも覚えています。
このようなことがあったので、私は高齢者の多い地域で開業したいという思いがありました。
私のおばあちゃんのように、
「旅行に行きたいけど体が痛くて行けない」と落ち込んでいる方や、
「歩けなくなるのが怖い」と不安を抱えながら生活されている方、
そんな方々の不安をなくし、願いを叶えていければと思います。
そして、地域のみなさまのため、我孫子のみなさまのため、痛みで悩まれている方が笑顔になれるように貢献していきたいと思っています。
施術の技術を磨き、実績を重ね、人と社会に寄り添い続ける
「私たちのことを頼ってきてくれる人のために」
ただ、それだけを考えて、毎日、目の前のお一人おひとりに寄り添って一生懸命に施術を続けてきました。
その他、我孫子駅前や柏駅前でのボランティア活動、東日本大震災後の被災地でのボランティア活動、日本国際飢餓対策機構や日本予防医学行政審議会への協力、いじめや不登校から守る会の発足。
全国のプロの治療家さんや院長先生に対しても、施術の指導をしたり、カイロプラクティック専門学校の技術のメイン講師を務めたりもしてきました。
そんな私たちの活動は、テレビやラジオ番組でも取り上げられ、産経新聞に掲載されることもありました。
我孫子市で1番あなたと喜びあえる整体院
あびこ南口整体院 我孫子腰痛センターは、厚生労働大臣認可法人にも認められている施術院です。
当院は、これからも日本最高レベルの施術ができるという強い自負とともに、気軽に通えて明るく笑いがあるフレンドリーな施術院を目指していきます。
そして、手技療法を通じて人に貢献し、社会に貢献していくことが私の使命です。